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合唱作品における作者性(作曲家)
1 名前:名無しへのまなざし:2003/12/04(木) 18:50
文学理論の世界では「作者の死」と言われ、
作品=テクストと作家との関連を断ち切ることによって、
多用な解釈(読みの多様性)、読者の権利を認めようという傾向ですが、
音楽の場合、作品と作曲家との結びつきが非常に強いと思います。
例えば、「これがバッハの正統的な演奏だ!」みたいのが。
でも、作曲家の意図なんか実際解からないんだから(多くの場合死んでるし)、
たとえ、生きていたとしても、作者の意図通りの演奏は不可能ですし、
だったら、いっそのこと「演奏が面白ければどんな解釈でもいいじゃん」
極端な話ですが、モンテヴェルディをを100人で演奏しても、
面白ければイイ的発想で。と思っているのですが、みなさんどうですか?

2 名前:名無しへのまなざし:2003/12/04(木) 21:47
モンテヴェルディ..をを!

3 名前:名無しへのまなざし:2003/12/04(木) 21:51
演奏家の世界では、様式、奏法に拘りすぎるきらいは確かにある。
強烈な排他主義は、自己保身のためと思われる。

4 名前:名無しへのまなざし:2003/12/05(金) 05:44
>>3
禿堂。権威主義が横行してるからね。

5 名前:名無しへのまなざし:2003/12/05(金) 18:43
昔はビックネームのオケ指揮者とかも合唱の指揮やってて、いろんな
名演、怪演、珍演を繰り広げてくれたわけだが。彼らは自分でオカシイと思ったら
平気で楽譜書き換えるからね。今の合唱界に、作曲家に向かって「この書き方は間違ってるよ」
と言ってのけられる指揮者なんていないよね。

6 名前:名無しへのまなざし:2003/12/05(金) 18:55
作曲家Mのために、すべてを犠牲にしてアクロバット的お子様合唱を作り上げ、
名門という称号を手に入れたが、今はその栄光以外なにも残ってない某合唱団とか・・・

7 名前:名無しへのまなざし:2003/12/05(金) 20:08
演奏家の時代を復活させよ。
そうでなければ、合唱界は作曲家たちの言いなりのままだ。

8 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 01:26
指揮者と作曲家(もちろん演奏家も)のコンセンサスはとても大事。
特に委嘱の際、楽譜に作曲家の見落としが必ずあると思うので、そういった場合はちゃんと言ってあげよう!

つーか今日も指揮の先生に、自分の曲の駄目だしくらったとこ。
本番て来週の金曜じゃん!今から手直ししたら演奏者発狂しちゃうよ!!

9 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 02:00
作曲家さんですか!?

10 名前:8:2003/12/06(土) 03:06
ううん、(いちおうまだ)学生。学校での発表会の話。

11 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 06:41
バロック以降、和声法や作曲書法など多くの“最善の選択”が確立してきた時代、後に名作曲家と呼ばれた人達は、
更なる音楽を追求するためにあえてその制約を破り、新たな音楽を創作してきました。
(例えば、劇的な効果を表わすため、あえて禁則である対斜を用いたヴィクトリアのポリフォニーや、不協和音と調性を自由に操り、劇的な表現を作り出す<レチタティーヴォ様式>を作り出したモンテヴェルディ、作曲法の基本とされておりながら、実に見事に構成を崩しているベートーヴェン、調性とは無関係に、情景に合わせて和音を紡ぎ上げたワーグナー、高度な音楽文化への反動としての根源的なもの、すなわち(東欧の)民俗音楽を、西欧の芸術音楽と結合させ独自の様式を生み出したバルトーク、調性や機能和声を無くし、捕え難いリズムに音色を様々に変化させる12音技法を確立したシェーンベルク、調性そのものを破壊し、一見野蛮とも思えるような反ロマン主義的旋律、そしてリズムを追求し、絶対音楽を理想に掲げたストラヴィンスキーなど)
これらは当時多くの知識階級達に、無謀な挑戦だと叩かれましたが、いずれもそれは後世に名を残す偉業とされています。
音楽的な必然性を得るためにあえて制約を破ると言うのはその裏に確立された音楽観を有すると言うことが肝要です。
指揮者、演奏者の優れた知識と技術をもってして、尚その作品の多くの解釈に異議を唱え、新たなる発想でそれを臨む事を私は願います。

12 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 12:14
偉そうだね

13 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 13:12
作曲家の作品に生命を与えるのが演奏家の仕事

14 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 13:25
長いと読む気しない…

15 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 13:59
「偉大な」作曲家はその時代のイデオロギーによって生み出される。

16 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 14:00
作曲家は作曲しただけでそれ以上でもそれ以下でもない。

17 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 15:42
うざい

18 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 17:07
は?

19 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 17:08
>>17
ここはそういうすれなんだから、言語化できないバカは黙って見てろ。

20 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 18:12
そうそう、誰も読んでない長文書いて自己満してる香具師のスレだからほっとこうな(´,_ゝ`)プ。

21 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 20:20
漏れはちゃんと縦読みしたぞ

22 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 20:24
厨房、工房には難しい話したって理解できないんだからほっときな

23 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 20:38
それは解からない。頭の賢さは年齢では図れない。

24 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 20:49
我々は古今の作品と言うものを、今の世界像を当てはめて考えているのではないか?
作曲という要素は「意味の体系」(記号作用の体系)を構成しているものであり、
明示的な意味から無意識のうちにある一定の<世界像>を植えつけているだけに過ぎない。
歴史、風俗、文化の様々な現象面から社会の意味的作用の体系が成立するように、
その作品の時代を踏まえた記号論的分析により、ある種の構造把握に至ることは明白である。

25 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 21:03
ただ、ソシュール言語学の音声中心主義のパラドックスから考えると、
作曲家が自分の<世界像>を譜面に起こす時点で、「主体の死」が生じてくる。
なぜなら、その作品はもはや作曲家の“特定の感情の表現であること”をやめて、
誰もが発し得る一般的な記号の配列としてしか存在し得ないからである。
そこに存在するのは、「はじめから終わりまで、ただ諸差異の諸差異、諸痕跡の諸痕跡」だけである。
テクストや楽譜においては、「超越論的な<意味されるもの>」がまったく存在し得ないこと、
すなわち「戯れ」と言う事態になる。

26 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 21:20
>25
デリダの<脱構築>の考えは、飽くまで分析学において有用な装置であると考えるべきではないか?
それでは、<意味>−<言葉>の繋がりを断ち切ることは出来ても、完全なる構造把握にまでは至っていない。
<現実>−<認識>の相関の原理的な不均衡性、それゆえ<世界>は「戯れ」なのであるが、
それを真理として捉えることは馬鹿げたことである。
この考えをきっかけと死、次の段階に進めるにはゲーデル、ドゥルーズなどのポスト・モダン思想を学ぶことが重要であろう。

27 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 21:22
>26 訂正
>この考えをきっかけと死、
→この考えをきっかけとし、
スマソ

28 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 21:34
結局1の言わんとするところは、合唱も<脱構築>化して考えようと言うことだろう?
しかしそれだけでは足りんよ。
西洋音楽が宗教的真理を内包している以上、現代思想だけでは語れない。
もうすこしスコラ哲学や近代哲学を学んでみな。

29 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 21:49
>>21
ワロタ

30 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 22:00
100年前の音楽も現代において聴かれている場合現代音楽である。

31 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 22:06
宗教的意味内容に通じていない人間が、
パレストリーナの音楽に感動できるのは何故だろう?

外国語歌詞の意味を知らなくても感動できるのは何故だろう?

32 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 22:11
>>26
デリダは構造それ自体を否定してないっけ?
また、「真理」(意味)は常に先送りされると。つまり、差異に対する差延。

デリダは、
「論理」を否定するために「論理」用いるという自己論駁的なとこがあると思うけどね。

漏れは最近現代思想にかぶれだした未熟者なのでいろいろご教授ください。

33 名前::2003/12/06(土) 22:39
>>31
テクスト自体に普遍性を持つ作品であれば、
極論すれば、記号(音符)を機械で読み込んで出しても
感動するということでしょうか?

34 名前:26:2003/12/06(土) 22:41
少し文章が足りませんでした。
>デリダは構造それ自体を否定してないっけ?
その通りです。
>それでは、・・完全なる構造把握にまでは至っていない。
ではなく、テクストそのものにパラドックスを“見出す”ことであり、
“意味”を見出すことが出来ない、そう言いたかったのです。
良い指摘ありがとー(^o^)/♪
私も最近ニーチェ入門読み始めてからですね。

35 名前::2003/12/06(土) 22:48
33を訂正
>>31
テクストに普遍的価値があれば
極論すれば、音符と言語を機械で読み込んで出しても
感動するということでしょうか?

36 名前:名無しへのまなざし:2003/12/06(土) 22:53
>>31
それは、人が行うわざに人間の可能性を感じるからではないでしょうか?
自らの“美”の理想(それが無意識的なものも含む)が具現化されたとき、人の心は大きく揺さぶられる。
それが感動というものではないでしょうか?

37 名前::2003/12/06(土) 22:58
俺も>>36さんの考えに近い。
>>31さんはどういう思いで書き込んだのか知りたい。

38 名前:32:2003/12/06(土) 23:02
合唱板でこういう話ができてうれすぃく思ってます。
>>34
漏れは夏休みにニーチェ『悲劇〜』と『ツァラ』読みました。

39 名前:26:2003/12/07(日) 00:21
R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴いたのがきっかけですね。
プロテスタントな私は、はじめて「ツァラ」読んだ時はあまりの衝撃に精神的にも肉体的にもダメージを食らいました。
自分の価値観を根底的にぐらつかせたのは、後にも先にもこれしかないでしょう。
ニーチェ入門を読んだのはそれからですね。
二ーチェ自身も音楽の造詣も深く、青年時代のワーグナーとの親交や、自身も作曲をしていたので(ピアノ曲がCDで出てます)、
彼の芸術観にはなかなか興味深いものがありました。

40 名前:名無しへのまなざし:2003/12/07(日) 00:37
しかし今じゃニーチェってインパクトのわりにマイナーというか、
はっきり言って否定されちゃってるからなあ・・・今更の感アリ。

41 名前:32:2003/12/07(日) 00:54
まだ逝けるよ。

42 名前:名無しへのまなざし:2003/12/07(日) 01:36
思想や価値観は人それぞれなので、たやすく決め付けれるものではありません。
音楽性も一緒ですよ。

43 名前:名無しへのまなざし:2003/12/07(日) 01:50
結局人間はお互いに分かり合えない。ってことになる。

44 名前:名無しへのまなざし:2003/12/07(日) 02:03
何かひとつ分かり合えれば、それで良いと思いますよ。
音楽が好きだとか、この合唱曲が好きだとか、
そんな単純な事でかまわないと思います。
少なくとも、合唱が好きだからという動機で他人と合唱は出来ますから。
資本主義の人間と共産主義の人間が同じ場に存在しうる、私は民主主義のそういったところが気に入っています。

45 名前:名無しへのまなざし:2004/02/14(土) 23:41
あふぇ

46 名前:名無しへのまなざし:2004/02/15(日) 00:38
共産主義イラネ

47 名前:名無しへのまなざし:2004/02/15(日) 03:32
民主主義って資本主義と共産主義が共存してるの?

48 名前:名無しへのまなざし:2004/02/15(日) 03:33
テクストの読みの多様性と言っている割には、
結局は同じような解釈になってしまう。
つまり、人間の考えることなんて、微妙な差異しかないと。

49 名前:名無しへのまなざし:2004/02/15(日) 09:47
>>47
資本主義や共産主義など様々な思想を、個人が持つ権利が保障されているということ。
例えば某共産主義の国だと思想統制がなされており、それに逆らうと反動分子として逮捕される。
扱いが犯罪者としてではなく反動分子なので権利が保障されず、即射殺もありうる。

戦後まもない頃は、マルクス共産主義に理想を抱いた人間も多かったけど、
結局どの共産主義国もその政策で失敗してしまったからね。今では悪いイメージしか残ってないのかも。

50 名前:名無しへのまなざし:2004/02/15(日) 11:25
>>49
違います。
民主主義には「主」権が「人民」にあるということ。

知ってのとおり、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」と名乗って
いて、「人民の意志を具現させる代表者を投票で選出」(有斐閣
『社会学小辞典』)している。
そこに、政治的自由、思想的自由がないとしても。

51 名前:名無しへのまなざし:2004/02/15(日) 13:46
共産主義で成功した国いまだかつて地球上の
どこにも存在しない。かつてのソ連も中国も
北朝鮮も共産主義はおろか社会主義ともほど
遠い社会である。

52 名前:復活のななし:2005/01/28(金) 20:57:35
何気に名スレ

53 名前:復活のななし:2005/01/28(金) 22:07:33
賛成100%ってかw>投票

54 名前:復活のななし:2005/01/28(金) 23:39:07


56 名前:復活のななし:2005/02/02(水) 15:57:48
さがってた



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