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鈴木輝昭
1 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/04/17(火) 08:19
鈴木輝昭を語ろう。
コンクールトークでも、鈴木輝昭サイコートコークでも、
あんなんどこがええん?トークでも、
「今度演奏会で輝昭歌います」でも。
Let'sらGo!
2 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/04/17(火) 16:32
女声の曲と混声の曲とで、入れ込み方が違うような気がするんですが…
3 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/04/17(火) 16:32
女声の曲と混声の曲とで、入れ込み方が違うような気がするんですが…
4 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/04/17(火) 16:33
女声の曲と混声の曲とで、作曲家の入れ込み方が違うような気がする…
5 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/04/17(火) 16:41
申し訳ありません。3重投稿になっています。
なぜか表のページに反映されません。削除お願いします。
6 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/04/17(火) 20:56
宇宙の果物が好き。
しかし、「どんな悲しみにも」が一番好き! と言うと変な奴といわれてしまう。
輝昭って、言葉のいかしかたうまいのになぜ詩を忌避するんだろう?
7 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/04/20(金) 17:38
>>2 ハレー彗星独白を愛するぼくの立場は。
まあ男声合唱少ないけどね。
8 名前: 鰤鱧 投稿日: 2001/05/03(木) 03:38
鈴木輝昭と聞いて寄ってみました。
私が所属するBrilliant Harmonyは今月19日土曜日に、オールステージ鈴木輝昭作品を歌います。
場所は、川口リリア音楽ホールで、17:30開場、18:00開演です。
曲目は、宇宙の果物はもちろん、アルス・アンティカ、ピエリアの薔薇、肖像画・絵師よ、星翠譜という、私たちにとっては挑戦するものばかりです。
よろしかったら、聴きにいらしてくださいね。
9 名前:げん 投稿日: 2001/06/15(金) 18:56
やはり、どう見ても鈴木輝昭は、三善さんの亜流でしょう。他のジャンルはともかく一般向き合唱作品のどれをとっても、語法が同じだし、和声の選び方、語り口など、すでに何十年もまえに三善先生が独自の語法として見つけられたものを、安易に頂戴しているだけとしか思えません。それなのに結構売れっ子だというのがシャクだと、かねがね思っていました。(べつに鈴木氏に個人的な攻撃をするつもりはないのですが。あしからず)
10 名前:けん 投稿日: 2001/06/18(月) 23:57
それでどうだと言いたいんですか?>げん
別にあなたが損するわけではないんだし。
これを書いて鈴木輝昭愛好家に不愉快な思いを
させることがわからないんですか?
わからないのならここから出て行きなさい。
でていかなければIP割り出してここにあなたの
情報をすべて公開します。
・・・ってほんとにやるかは別だけどね。
僕も鈴木輝昭愛好者なので、こういう書き込みがあると
とても不愉快なのです。詞華抄歌いました。
11 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/06/19(火) 09:44
まあ、好きも嫌いも織り交ぜて、ということでいいんじゃないですか?

個人的には、鈴木輝昭は知的で精密な構築性という意味で稀有な存在とは
思っていますが、曲からにじみ出るような愛が足りないなあ、と感じるん
です。
12 名前: ハモる名無しさん 投稿日: 2001/06/19(火) 20:38
>>10
「別にあなたが損するわけではない」とか、
「ここにあなたの情報をすべて公開します。」とか、
低レベルも甚だしい。
ここを読んでいる方々に不愉快な思いをさせていることがわからないんですか?

わからんだろうな。
13 名前:けん 投稿日: 2001/06/20(水) 00:13
>ハモる名無しさん

後で思い出したようにつけくわえる方が
低レベル・・・っとこんなくだらない事に
使わない方がいいですね。
14 名前:げん 投稿日: 2001/06/20(水) 00:30
>>けん さん
どうか落ち着いて読んで下さい。鈴木氏のこれまでの合唱曲が与えてくれた「よろこび」は確かに素敵なものですし、彼の音楽センスの秀逸さについては私も充分認めています。彼の作品のうち私自身「好きな」作品も少なからずあります。
それと、この前の発言とは矛盾しないと思います。私はその優れた美質を持つ彼が、実に深いところまでを、師である三善晃氏の音楽に影響を受けているという現実をいままでの作品で「赤裸々」に公表してしまっているところを、むしろとても心配しているのです。そしてそれが皮肉にも鈴木輝昭という1人の作曲家への評価に安易につながっているとすれば、それは果たして彼の作曲家としての未来のために良いことなのかな?という思いがあるのです。確かにそんなことは「大きなおせっかい」かもしれないけどね。
わかってくれないかなあ・・・
15 名前:けん 投稿日: 2001/06/22(金) 21:34
すいません、少し熱くなり過ぎました。
実は僕は喉が生まれつき弱く、合唱をしていても
すぐに痛めてしまう傾向にありました。
ちゃんとボイストレーナーについてもらって、
腹式呼吸もちゃんとしてたんですが、それでもダメでした。
で、泣く泣く合唱を続ける事を断念しました。

最後に歌った曲が鈴木さんの作品だったもので、
それだけ思い入れが強かったんです。
だからげんさんが書いた記事に過敏に反応してしまって。
申し訳ないです。
16 名前:あや 投稿日: 2001/10/10(水) 22:05
鈴木輝昭作品からははなんとも言えない暖かさと厳しさとミステリアスな感じといろいろ感じますが、彼の曲への思いはかなりのものです。なんというか色や温度など映像として見えてきやすいんです。それと、どの曲にしてもそうなんですけど、自分の詩に対しての思いを曲を通して表現するのですから 特に輝昭作品ではかなりの解釈と表現力と曲への愛が必要になってくると思います。
17 名前:嫁ぐ名無しに 投稿日: 2001/10/11(木) 11:08
>>16
同感です!!
”はだか”などを聴いた時には
題材になっている少年の心と聞き手である自分の心が同化したように感じました。
特に、終曲の少年なりの激しい愛、おそらく少年自信でさえ気付いていないであろう
感情が見事に伝わってきました。
たしかに鈴木輝昭の作品は三善の亜流と言われて仕方がない部分が多々あると思いますが
それを補って余りある彼の世界観がどの作品にも息づいているように思えます。
18 名前:中学3年 投稿日: 2001/10/12(金) 21:46
君はペガサス
ペガサスって速くていえねえよ。
19 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2001/12/31(月) 23:03
この前東工大のクライネスが全曲初演した鈴木輝昭のレクイエムの出来映えはどうだったんだろう?
ちゃんと全曲出来てたのかな?
20 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/01(火) 01:48
会津女子高校が今年大会で歌ったやつって輝昭先生だよね??どうなの?
21 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/05(土) 21:35
>>19
ちゃんと完成したよ。
一番最後に完成したディエス・イレは鳥肌もの!
すばらしかったよ。
22 名前:19 投稿日: 2002/01/06(日) 00:14
>>21
そうですか。それは良かった。
全曲出来るまで東工大の方は冷や冷やものだったでしょうね。
23 名前:鈴木作品 投稿日: 2002/01/06(日) 01:25
全部同じ曲に聞こえるんだけれど・・・
あの韻旋律の連続しただけの曲が今は
流行りなんでしょうか?
24 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/06(日) 10:03
>>23
いつの時代も、コンクールで上位に入賞できる曲が流行りです。
25 名前:正確には 投稿日: 2002/01/06(日) 11:18
コンクールで上位入賞を狙える曲がコンクールで流行る。

こう書くと、身も蓋もないくらい当然の事だな。
26 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/10(木) 15:01
たしかに鈴木輝昭の作品は、三善先生の亜流という表現も間違ってないと思うし、
それが暖かさ、厳しさといった内面にうったえかける音楽ともいえる。
もし、ここに書き込みなされておられる方で、連盟所属の合唱団に
所属されてる方がいらしたら、一昨年の秋(夏だったかも?)に鈴木氏本人が
合唱とはいかなるものか、を書かれてました。
たしか「詩を聞くことも大切だが、その音楽自体で歌詞よりも先に
曲の内容を感性的に伝えたい」というようなことだったと思います。
ご参考のほど。
27 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/10(木) 15:08
>すいません。鈴木先生が書いている雑誌ですが
連盟から年四回送ってくる雑誌「はーもにー」です。
ご参考に。
28 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/10(木) 16:16
鈴木輝明の作品は流行りの音楽を書いているという感じがしませんか?
小室哲也やつんくが音楽性というより売れる曲を書いているのと同じように
みんなが期待する「鈴木輝明」って曲を故意に書いてるきがするんだけど
どうでしょう?
29 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/10(木) 19:26
>「詩を聞くことも大切だが、その音楽自体で歌詞よりも先に曲の内容を感性的に伝えたい」

その昔、宇野功芳という人が、ハーモニー誌上の高田三郎氏との対談で
似たようなことを言っていた。
音楽は音符(曲)大事なのであって、作曲家の意図を汲み取って演奏すれば、
歌詞などは歌いやすいように作曲してあるのだそうな。中にはあてはまらない
曲もあるような気がするが。
だいたい、「詩を大事に」とか「詩の内容が伝わらない」とか
言う奴がいるようだが、そんなに詩が大事なら歌わないで朗読してろ!
30 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/11(金) 15:28
>>29
「そんなに詩が大事なら歌わないで朗読してろ」って
じゃあ歌にはなんのために詩が付いてるの?
31 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/11(金) 18:14
ちょっと話がそれていってるような気もします。
「歌には何のために詩がついてるの?」
不思議な質問だ。詩が先にあって曲はあとからできるほうが普通だと思われ。
作曲家は、詩に触発されて音楽にするんじゃないですか。
あと、詩の感動を、より増幅する、とか。
鈴木輝昭は、私も好きな作曲家ではないけど、小室と一緒にするのはあんまりだ。
32 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/12(土) 15:52
まあ、小室と一緒にしてはいけないでしょう。
「もうひとつのかお」のような混沌極まりない作品で
混沌極まりない内容の詩を表現できるんだから、
非常に存在価値の高いものになるんじゃないかなぁ・・・
小室のJポップてこれから10年したら存在価値なくなるものばっかりでしょう。
33 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/13(日) 12:41
>>31

>作曲家は、詩に触発されて音楽にするんじゃないですか。
>あと、詩の感動を、より増幅する、とか。

それならなおさら詩を大切にしなきゃ。
作曲家が詩から受けたインスピレーションを音符によって表現しているのだから
それを理解するためには歌い手も詩を理解し、作曲家がその詩から何を感じ取ったのか
考える必要があるはず。
歌において詩と音楽は切り離せるものではなでしょ。
34 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/13(日) 13:56
>>26-27
その紹介は不正確だぞ。
ハーモニー2000年春号(No.112)の「新・作曲家シリーズ」という連載で
鈴木輝昭が取り上げられたとき、座談会で本人が発言していたことでしょ。
最初から文章として書かれたものではなく、しゃべりの再録。
でもって、かなり誤解を与えているようだが
「詩をなおざりに作曲しているつもりはない。
譜面に忠実に演奏するだけでも詩から受け取ったものは十分表現できるよう書いている。
だからこそ歌い手としては詩の分析よりも先に譜面や音を大切に演奏することが望まれる」
という趣旨(>>29に近い)だったと思う。
35 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/13(日) 15:37
>>34
それはちょっと違う。「詩の分析よりも先に譜面や音を大切に演奏することが
望まれる」と言ったのはたしか木下さん。
No.112から次の部分を抜き書きします。他にもいろいろ言ってるので、原文に
あたれというのには激しく同意。

鈴木 言葉は意味として伝えるだけじゃなくて、楽音の一部として伝えてほしいんです。
詩は詩で自立していますが、音楽という表現形態のうえでは言葉そのものを伝えるのではなくてあくまで音によって詩の持つ世界やニュアンスを伝えなければならない。
それが音楽作品の成立する意味ではないかと思うのです。

>>31
> 作曲家は、詩に触発されて音楽にするんじゃないですか。
> あと、詩の感動を、より増幅する、とか。

音楽から詩を選ぶということもあります。ハメコミじゃないからといって、
「詩先音楽後」とは限らない。器楽的発想を詩の世界にに投影するという考えは
以下に抜き書きする鈴木さんだけではなくて、多くの人が実践している。

(ひぐらしのモティーフという手法について)
鈴木 ひぐらし(茅蜩)の鳴き声は、独特の響きで迫ってくるものがあって、いつごろからかわからないけど、完全に私の中に入り込んで離れなくなってしまった。作曲者の欲求には、自由になりたい、自分を支配している何者かから早く解き離れたい、というものもあって、それが作曲の衝動の一部になっているんです。
寝ても醒めても耳の中でひぐらしが鳴き続けていて、早く音にしないと苦しくてしょうがない。
 最初の試みは八一年にドイツで演奏された「交響的変容」というオーケストラ作品で、その後もいろんな楽器で試みてきましたが、人間の声でやるのが最も美しいというのが結論。
「ヒュムノス」で部分的に試みて「森へ」につながりました。
ひぐらしの響きを実現させるためにふさわしいテキスト、ということで森がテーマになりました。
36 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/14(月) 18:07
木下牧子さんが、言ってる意味は、詩の解釈ばっかりで、音楽の解釈をおざなりにしないで、という意味です。
歌を歌っていて、詩なんかどうでもいいということにはなりません。
詩も、音楽も、大事です。そのバランスが大事だと言うことじゃないですか。
そんなに詩が大事なら、朗読でもしてろ、というのは、極端過ぎて、変です。
37 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/14(月) 20:30
>>36
確かに>>29の最後の一文は表現が極端だと思うけど
「そんなにソルフェージュや発声・発語などの音楽技術をなおざりにしたければ」
と言葉を補って読めば、間違いとは言えない。

長くなるけど、福永陽一郎という指揮者(故人)が「合唱新聞 1966/8/10号」に書いた文章を引く。

 ……しかし私は、詩を読み、詩を理解するということは、つまるところ文学的営為で
あって、音楽的に、曲の内容を表現することは、あまり役立たないと思う。ましてや、
作曲家自身が、「歌う前に詩をよく読んで」などと注文するのは言語道断であると思う
のだ。
 詩の内容を音楽に表現するのは、作曲家の仕事であって、演奏家の責任ではない。純
器楽的に扱って、それを、歌われている詩の内容が聴衆に伝わらないような音楽は、声
楽の作品としても失敗であると思う。(中略)
 詩を読むことが、その音楽を理解する上に、便宜的に役にたつということはあるだろ
う。ベートーベンの伝記を読むことが、ベートーベンの交響曲を理解するのに役にたつ
といったことと、同類の方法である。しかし、音楽は音楽として理解できなければ、無
意味である。
 作曲家が「詩をよく読んで」と注文するのは、よくよく、詩を音楽に換算することに
自信がないか、あるいは演奏者に対して、その人の音楽的理解力を、文学的理解力より
低く評価しているかのどちらかであって、そうでなければ、演奏者の、詩を音楽として
表現する能力を、自分の書いた楽譜の力よりも課題に見積もっているのかもしれない。
いずれにせよ、お互い、音楽家として、いささか情けないというべきではないだろうか。

続いて、同じ福永氏が、上の文章の補足として「合唱新聞 1966/10/1号」に書いたもの。
引用中「大中氏」とは大中恩のこと。

 ……私がいいたいのは、音楽的行為の不足を、文学的行為でおぎなうことは、まずで
きない相談だということである。大中氏の言葉を借りていうと、「日本語の歌をそれら
しくうたってくれない声楽家」や「歌心をうたえない合唱団の人たち」は、まさに「音
学的経験や技術が乏しい」のであって、音楽的能力のひくい人が、詩を読んだからと
いって、また、その詩を理解したからといって、その人がうたう歌が良くなるというこ
とは、私には信じられない。その場合必要なのは、音楽上の、声そのものへの技術的指
導であって、詩の説明ではないのではないか。
 それに「詩を理解する」とはなんだろう。私は詩を読むのが好きだし、その詩につい
て、好き嫌いがいえるほどには、わかるつもりである。しかし、音楽家としての自尊心
からも、詩よりは音楽の方がわかるとみずから信じたい気持ちがある。しばしば経験す
ることだが、すぐれた作曲家によって書かれた歌曲や合唱曲で、その音楽をとおしては
じめて、詩のほうが理解できたということがある。難解な詩が、すぐれた作曲家の手に
よって、自分の専門である音楽に再生されたため、よくわかってくるという経験は、音
楽をやっているものの、特別の喜びであると私は思う。
(後略)
38 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/15(火) 10:52
えっと、鈴木輝昭(余談だが「輝明」と書く者多し!!)の作品で
「クリスマス・キャロル集」ってありますよね?
どんな感じですか。知ってる人教えて下さい。
39 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/15(火) 12:21
>>38
同声・女声合唱のための「クリスマス・キャロル集 〜うれしいな クリスマス/おめでとう 今日のよき日に」
というアレンジ集が音楽之友社から出てますな。
鈴木輝昭にしては比較的取っ付きやすい。
40 名前:名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/15(火) 14:44
!"
41 名前: 34 投稿日: 2002/01/16(水) 22:48
>>35
そのハーモニーNo.112の座談会で、こんな発言もある。21ページから抜粋。

鈴木 詩は自分なりに熟読してますし、音楽的な構造も、詩と無関係なとこ
 ろで組み立てられることはありません。作曲そのものは詩と密接な関係に
 あるんです。だからこそ演奏では音に対する純度の高いアプローチが望ま
 れるのです。
[他の参加者の発言がはさまる]
鈴木 言葉を否定しているわけではまったくないんです。愛人の世界・言葉
 によって音楽は明らかに変わるんですよ。[中略]それほど現代詩人の持っ
 ている言葉の喚起力には抗しがたいものがあるし、それに身をゆだねるこ
 とが、また心地よくもある。これは言葉の伴った音楽でしか体験できない
 すばらしいことだと思うんですよ。しかし音はそこから自立していかなけ
 ればならないんです。

漏れの>>34での要約は、そんなに的を外してはいないと思う。
確かに「詩の分析よりも先に」という言い方はしていないが、
音そのものと詩の解釈との優先順位については触れられているね。

なお、この問題に関して木下牧子は、本人のサイトにある
http://www.asahi-net.or.jp/~az4m-knst/qa_bucknumber/qa15.html
で「詩の解釈をするなら譜読み前の下準備段階で」と書いている。

42 名前: 36 投稿日: 2002/01/16(水) 23:18
>37
人の意見って、自分の中にあるものだったら同意できるけど、元々正反対の意見だと、いくら論理的に話されていても、同意できないものですよね。
私は、37さんの意見読んで、共感できました。
わたしも、文学や詩は大好きです。でも、「音楽」になっているものを、音楽的アプローチよりも、「文学的アプローチ」の方に、偏ってたりすると、作曲者は首を傾げるんでしょうね。

鈴木輝昭の音楽は、技術的にむずかしく、また、「音楽」だけでも完結するくらいの濃度だと思いますが、「詩」の内容を表現していて、音楽に乗ることにより、より、詩の深さを体感できる…って、他の作曲家もそうですけどね。

43 名前: 41 投稿日: 2002/01/17(木) 00:34
タイプミスの訂正。「愛人」→「詩人」

♪ひかりをきょうも埋めにゆけ

44 名前: 名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/19(土) 21:25
7 ソングズ オブ ナンセンス
楽譜見てなるほどー。CDも出るらしいし、期待する作品群。
個人的には演奏しようとは思わないけど。鑑賞には値する。

45 名前: 名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/20(日) 10:51
輝昭の曲の好きな所:旋律がきれいで分かり易い。アレンジが斬新。
輝昭の曲の嫌いな所:取り上げる詩の内容が暗く難解。
          歌詞の中には存在しない「ひぐらしモティーフ」や「能のリズム」などは
          歌いづらいし、曲の理解を妨げる。
同じ詩人の歌詞を取り上げたり構成の似た曲が多いので、輝昭と三善は比較されることが多いが、
三善の曲は、曲を聴くと詩の世界がより深まっていくような印象を受けるのに対して、
輝昭の曲は、深まると言うよりも広がっている印象。その広げ方もオレは少し極端に感じる。
オレは輝昭がこれだけ流行ることが少し理解できない。

46 名前: 名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/20(日) 15:03
>>45
たしかにひぐらしのモティーフは何のために用いているのか
理解に苦しむ曲がある。
「森へ」で使われてるのは良いと思うけど。

ところで宇都宮大が初演をした合唱オペラ「森」はどう思います?
初演を見にいったんだけど、それ以降演奏したという団体は聞かないのですが。

47 名前: 名無したちの対位法 投稿日: 2002/01/20(日) 15:45
>>45
というか、まず「ひぐらしのモティーフ」「能のリズム」ありきみたい。
藤井宏樹によると「作曲者の潜在的心象風景」らしいが。
>>46
合唱団「弥彦」
東工大コール・クライネス
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